015.Osanna / Palepoli (1973)


パレポリ(紙ジャケット仕様)


パレポリと言葉だけきくとまるで女子中学生が食べている小粒のおかしみたいですが、どっこいどすこいプログレです。しかも異端児イタリア。プログレといえども、「知的」というよりは「野蛮」、「緻密」というよりは「豪放」といえましょう。展開がもうかなりの力技で、リフにリフをつないでいく感じのハードロック風。男くさくストレートなシャッフルでしばらくやったかと思えばフルートやサックスが雷神さまみたいなドラムとともに吹き荒れるパートもありめまぐるしい。メロトロンやテープ逆回転などプログレ概論基礎の単位はとっている様子ながらすぐに飽きてしまうようで、またぶっといファズベースをぶちこんできます。そして歌い上げるひげもじゃオペラ(イメージ)。なんとも暑くるしい世界です。心の準備なくオレンジ祭りに巻き込まれたらこんな気持ちなんだろうか…


一貫してある祭りのような雰囲気からかユーロロックにありがちな湿っぽさはうすく、とにかくパワフル。ブラック・サバスかいなというようなリフもあって、重心が常に低いのですね。巨人が振り回す石斧のようです。あまり深く考えずにただただ蹂躙されたいときにはおすすめできます。


○Animale Senza Respiro
クリムゾンの「21世紀の精神異常者」を違法建て増ししまくったような曲。

014.土岐麻子 / Debut (2005)

Debut

開けた窓から絵の具のように青い空、すこしの蜃気楼、その向こうに飛行船。揺れるカーテン、炭酸の泡沫が浮かんでるみたいな風。しゅんしゅんとポットが湯気を吹く音、彼のコーヒーと彼女の紅茶が待ちかねて香っている。そんな、美しい季節の中のちいさな生活感が音になったような感じ。部屋聴きに最適です。見慣れきった家具とか家電とかがいとおしく見えてきます。


ふたつ前のエントリーでMichael Franksの2ndについて書きましたが、それにもっとも似た肌触りの音楽はと言われたらこのアルバムが浮かびます。エレピとギターのやわらかさ、バランスが似てる気がするのです。ものすごく自然体なのですが、ジャズの要素をふんだんに使って実はかなりソフィスティケートされた世界。しかしそれはあくまでも要素です。シンバルズ解散後のソロ活動のスタートもまずジャズスタンダード集から始まった彼女ですが、やはりジャズといってもたとえばブロッサム・ディアリーみたいな、ポップスとしての白いジャズが声や振る舞いに似合っていると思います。そしてこの後に続く作品たちにも言えることですが、彼女は本当に自分にフィットする素材、テーマを選ぶのがうまい。(それとも人材のほうが集まってくるのか?)


ところで彼女は長音(「ー」て伸ばす音)の発声がとても魅力的です。ビブラートやこぶしといった言葉とは無縁のある種平坦な伸びなのですけれど、何も邪魔しない耳あたりのよさがあります。関連してか、英詞で歌う曲もけして英語の発音が達者なわけではないのに不思議とマイナスに聴こえません。いくらモテてもまったく気づいていないような、天然マドンナの風格を漂わせています。


○ウィークエンドの手品

ブラシで細かくたたかれるスネアの粒が、ことばと一緒にしぶきになって散らばってゆく。他の楽器の絡み合いも、よく聴くと実はかなり研ぎすまされたセッション。

013.XTC / Oranges & Lemons (1989)


Oranges & Lemons


ひとことで呼ぶなら「花さかじいさん」。目につく方々に春をまき散らしてねり歩くような気前の良さに溢れた大ポップアルバム。


前作「Skylarking」制作過程でのフラストレーションから解放されたかのように、とにかく多幸感に満ちています。メロディ、リズム、ハーモニーとあらゆる要素が練りに練られつつ華々しいアウトプット。歌詞なんかは相変わらずリア充爆発しろみたいな感じなのですが、まあほんとにレインボーな楽しさです。XTCは商業面で世界的に大成功したバンドとはいえないとしても、この作品が出たとき世界はいったんビートルズを忘れてもよかったのではないだろうか。パートリッジ&ムールディングがレノン&マッカートニーに劣っているところなんて、ルックスの華くらいじゃないだろうか…とさえ思ってしまいます。


冒頭3曲が必殺過ぎてリピート地獄にはまりやすい(M3「King for A Day」のベースラインの中毒性はひどすぎる)のでどうしても全体の構成が霞みがちではあるのですけれど、実は後半も面白いのです。M8「Scarecrow People」からM13「Pink Thing」までの流れが好きで、よく通しで聴きます。どの曲もリズムがひとひねりされていて、ブリティッシュビートからアフリカンリズムまで挑戦してきた彼らの集大成という感じで退屈しません。この当時既に彼らはバンドではなくユニット化。スタジオミュージシャンがいろいろ参加していますが、雲を突き破るようなスカーンとしたドラムを叩くのはやがてキング・クリムゾンに加入するパット・マステロットさん。納得の対応力。


○Pink Thing
曲展開がこんな奇天烈なのに、一瞬たりとも適当なメロディがないのがすごいと思います。変なコーラスや、ギターのギャルリンとした独特の質感が初期の頃を思い出させたりもする曲。

012.Michael Franks / The Art of Tea (1975)

Art of Tea


このアルバムを聴くと、俳句の「水ぬるむ」という春の季語を思い出します。張りつめていた緊張がふっと融けるときの心地よさに満ちている。最大限良い意味でのルーズさとでもいえましょうか。ガチ作り込み系ポップスの究極はSteely Danの「Aja」かXTCの「Skylarking」ではないかと思っていますが、ある意味でその極端に位置するような音楽かもしれません。もちろん少しでも細部に耳を傾ければ、その雪解けの泉が湧き出るようなフレーズの奔流におどろくほどの緻密な構成を見て取ることも容易ではありますけれど、テクニックとかコード進行とかどうでもよくなるほどまずは気持ちいいわけです。ほんとうに、ただそこに初めから浮かんでいたメロディのように聴こえるのです。


クルセイダーズ周辺のテクニシャンが大活躍ということでバックの演奏についてよく語られていますが、フランクスさん本人の歌声も非常に重要な要素だと思います。すこし鼻にかかった甘いへにゃ声で、カエターノ・ヴェローゾアート・リンゼイにも似ています。つまりブラジルの青い空気を感じるということでして、仕事とか休んで縁側に座って昼寝しながら聴きたいなあという気にさせてくれる声です。


これが2ndで、これ以降はもっとカッチリした印象の作品も増えてきます(それはそれで良いものをたくさん出していらっしゃいます)。彼のキャリアの中でもポップス史の中でも貴重ですてきな、パステルブルーの一枚。


※ところで、ユーミンの「さみしさのゆくえ」のテーマ(リフ?)はこのアルバムのM2「Eggplant」のそれとよく似ています。時代的にはほぼ同時期の曲ですが、若干ユーミンのほうが後出し?共通したにおいをかぎとったのでしょうか。*1


○I Don't Know Why I'm So Happy I'm Sad
せつなさだだもれです。yes i am, yes i am...のリフレインがたまりません。おっさんなのになんなんだろうこのかわいさは。そのちょびひげを俺にくれ。

*1:とか思ってたら、なんとフランクスさんのほうも最近ユーミンカバーアルバムに参加してらっしゃった。相思相愛ということですかね

011.佐藤奈々子 / Sweet Swingin' (1977)

スウィート・スウィンギン(紙ジャケット仕様)


音楽の中には聴くTPOをある程度限定するものもあると思います。仏道修行するときにマーズ・ヴォルタを聴いたりはあんまりしません。それでいくと、このアルバムはナイトクルージングのデッキ以外のどこで聴けばいいんだろうという気にさせられます。ムーディーもムーディーなのです。


スウィングジャズやボサノバをベースにした演奏をバックに、マリリン・モンローをすこし黒く塗ったような声が昔の思い出をぽつぽつ語るみたいに歌っています。あくまで日本語詞なのもすてきなところです。佐藤奈々子さんはこのとき22歳とかだそうなのですが、いったいどこでこんなカンパリのような歌い方を見つけてきたのでしょうか。徹底的にしなを作っているのに下世話でない。おさえにおさえたアレンジの妙もあるでしょう。佐野元春との共作らしいです。佐野さんはあまりちゃんと聴いたことがないのですけれども、ロケンローラーのイメージ(スプリングスティーンインスパイヤとか)があったのでこんな仕事もしてらっしゃったとは意外でした。


○フェアウェル・パーティー
ヴィブラフォンの響きが、夜の波面のようです。

010.溺れたエビの検死報告書 / アノマロカリス (2013)



甲殻類がこわい。食べ物の好き嫌いという話ではなくて、単純にその姿かたちがサイエンスフィクションすぎてこわい。大阪の海遊館にあるタカアシガニの水槽はまったく目玉スポットでもなんでもなく、ただただ数体がこちらを向いてたたずんでいるだけなのですが、そのじっと整列した姿からは統率された侵略型ロボットを思わせる異様な威圧感を感じさせます。深海には巨大な母船みたいなカニが居て、そこから派遣されてきてるんじゃないだろうかとか。ビームとか出せるんじゃないだろうかとか。



このように、カニ系はロボットとか宇宙船。一方、エビ系はというと知性があってカニ系を指揮したり操縦したりするエイリアン的なイメージがあります。この「溺れたエビの検死報告書」はまさにそのエビたちの軍団なのでしょう。アップライトベースをギコギコするリーダー格のエビを中心に、パーカッションを重く打ち鳴らすエビ、ブラスで煽り上げるエビ、揺れるエビ、踊るエビ…が海底一億マイルの宇宙よりぞくぞくと進軍してきます。「な、なんだあれはー!」という監視塔の隊員(直後、無線の向こうで惨死)の叫びが今にも聞こえてきそうです。


パーカッションが活躍する感じはザッパを、でっかく黒いかたまりがうごめく様子はクリムゾンを思い出したりもしますが、展開やリズム構成はさほど難解でなく、ひたすら数を増やしながら行進してくる画が浮かびます。メロディ要素も薄くあくまでもそのルックスやパフォーマンスありきの世界なので、音源だけで聴くとどうしてもサントラみたいな印象ではありますが、今後エビが食卓に上がるたびに脳内で流れ出すことは確実な音楽だと思います。


ちなみにこわい甲殻類3傑は以下です。
3.タカアシガニ(上記。乗り物系ロボットぽくてこわい)
2.ヤシガニ(オートマチック系殺戮マシンぽくてこわい)
1.カブトガニ(なんかもう意味不明でこわい)


○外骨格
縁を切りたい甲殻類アレルギーの人が周りにいる場合は、一緒に彼らのライブを観に行けばいいんじゃないでしょうか。

009.Parenthetical Girls / Privilege (2013)


Privilege (+DVD) (NTSC Region All)


萩尾望都の超名作「ポーの一族」に登場する主人公・エドガーは、見た目は14歳の美少年ながら実は永久の時に囚われたバンパネラ=吸血鬼で、長い長い時をさまよいながら渡り歩いている。一万年を閉じ込めた氷山のように厳格で、老成しきった印象を受ける一方で、その氷の仮面の下にはかつて亡くした妹・メリーベルへの悔恨まみれの愛慕や、限りある生と死へのあこがれのようなものが青く燃えている、そんなアンビバレンスが魅力的な人物です。


Parenthetical Girlsの楽曲を聴いていると、なぜかそんな「ポーの一族」とエドガーを思い出してしまいます。フロントマンのザック・ペニントンの年代や性別を感じさせないボーカルのせいかもしれませんし、室内楽風の耽美なアレンジと、炸裂するエレクトロビートが官能的に絡み合って共存しているさまもエドガーの二面性を象徴する気がするのです。情念にのたうつところへ時折天上から降ってきたり背後にそっと寄り添ってくれるはかなげな女性コーラスは、メリーベルの救いの声かも。M-6「Young Throat」などアンセム系の踊れる曲も飛び出しますが、ステップはどこか苦悩にもつれています。


Animal CollectiveDirty Projectorsが日本でも一定の知名度を得ている一方で、彼らはまだまだ不遇な気がします。まったく遜色ないどころか、USインディポップシーンには稀有な「華と毒」を持っているバンドだと思うのですが、現状では国内盤も出ていないし情報もとても少ないようです*1。個人的にはバンド名が絶望的に読みにくいせいだと勝手におもっています(ペアレンセティカル・ガールズ?)


ライブ映像なんかを見る限り、このザック・ペニントンという人は中性的なルックスに変なダンスと、史上に残る「怪人」になれそうな要素を備えており、末はボウイか、モリッシー*2かととても期待しております。


○The Common Touch
アルバムの中でももっとも複雑で、かつ美しい曲。こんな危ういバランスが成り立つのですね。葬列なのか祝祭なのか、ミニマルなかわいいピアノの反復を雷鳴が蹴破ります。

*1:国内の情報発信源は音楽ブログMonchiconさんくらいでは。http://monchicon.jugem.jp/

*2:じっさい、スミスへの愛は強そう。M-3「Pornographer」は「What Difference Does It Make」のリフをほぼ拝借しているし、Xiu XiuとスプリットでカバーEP(未聴)も出しているみたいです。